週末、東北へいってきました。
宮城県の港町、気仙沼と、
岩手県の同じく海沿いのまち、陸前高田へ。
遅ればせながらの、、、(きっと遅いことなどないのでしょうが)応援観光です。
東京から新幹線とレンタカーで、
仲間3人と一泊二日、気仙沼泊の民宿の旅。
自分がそこで何を見て、どう感じるのか。
内心どきどきしながらの旅も、振り返ってみると、
そこに生きる方々のたくさんの笑顔に出逢えた旅となりました。
たくさんの方が踏ん張って、
笑って、前を向いて、毎日を生きていました。
皆さん「どこからきたの?」と、本当に気さくに声をかけてくださって、
被災したときのことから、これまでのこと。
いろんな話をしてくださいました。
縁あって出会えた方々の、素敵な笑顔の写真とともに、
振り返ってみようと思います。
復興屋台村・気仙沼横丁にて。
海鮮居酒屋「大漁丸」のおかあさん。
「気仙沼横丁」は、気仙沼港から歩いて数分のところにある
気仙沼の飲食店復興を目的とした屋台村です。
「大漁丸」には、旬のカツオの海鮮丼に惹かれて入ったのですが、
そのおいしさはもちろんのこと、最後には、すっかり、
おかあさんの笑顔と人柄に酔いしれていたのでした。
壁には、おかあさんがこれまで撮り続けてきたお客さんの笑顔の写真が、ずらり。
そして、お客さんからのエールが綴られたノートはすでに3冊に。

「これは、わたしの、財産。」と、おかあさん。
地震・津波・火災で大きな被害を受けた、
気仙沼市・鹿折(ししおり)地区「鹿折復幸マルシェ」にて。
乾物屋「小野寺商店」の小野寺由美子さん(金髪アフロ着用)と、
マルシェ・スタッフの皆さん。
マルシェへ着くと「小野寺商店」の前で、何やらアフロをかぶった女性達が、
少し恥ずかしそうに「いらっしゃいませ」と呼び込みをされている(!)。
「なんだなんだ・・・!?」と思いながらも、
そういうプレイ(?)、全く嫌いじゃない僕らは、誘われるようにお店の中へ。
…3分後には、アフロかぶってました。笑
一通り、アフロでこれでもかと遊んだあと、
由美子さんが、津波で自宅と店舗を失ったこと。
現在の場所でお店を再開するまでのご苦労をお話してくれました。
「これをかぶると自然に笑顔になるの」
と何気なく、おっしゃった由美子さん。
その言葉には、僕らが想像もつかないこれまでのご苦労と、
それでも笑顔でやっていきたい、やっていかなきゃ、という思いが
集約されていたように思います。

最後は、真面目そうなご主人もアフロで、
僕らをお見送りしてくれました。
後日、スタッフの方から「笑顔の時間をありがとう」と。
…こちらこそ、です。
気仙沼地方青果市場で開かれている「日曜朝市」にて。
震災後、場所を転々としながらも、毎週日曜早朝からやっています。
僕らも5時起きで、GO。
地物の魚、野菜、お惣菜、たいやき、植物、履物etc。
早朝から活気のある市場には、地元の人がたくさんやってきます。
旬の野菜を並べたおばあちゃん。
おばあちゃんともたくさんお話をしました。

にんじんが、すごく、かあいい。
同じく「日曜朝市」にて。
鉄板焼き鳥と、ドリップコーヒーのお店のおふたり。
撮影を断った後、カメラを構えると、すっと、自然に寄り添われ、
その感じに、ぐっときてしまいました。
苦しい時をお互い支えあってこられたのかなぁと。
朝日の中のドリップコーヒーと、焼き鳥(朝から。笑)、
とてもとてもおいしかったです。
まちの様子も少し綴ります。

「鹿折唐桑駅」から見た鹿折の風景。
復幸マルシェから、歩いて5分ほどの距離です。
保存するか議論となっている震災の象徴「共徳丸」が
大きな迫力で、まだそこにありました。

陸前高田の奇跡の一本松。
海側からまちを眺めると、
街が丸ごと津波にのみこまれた様子がわかりました。
市役所や病院など大きな建物の残骸が残されているのみで、
あとは、広い、広い、大地。
初めて体感すること。風景。感情。
テレビや映像ではない、
自分の目の高さでものを見ることは、大事だ。

今なお残る地震の爪あと。
復興への様々な問題、現実。
長い長い復興への道のりは、
まだまだ始まったばかりかもしれませんが、
縁あって出会った方々の言葉から感じたことは、
各地から寄せられるたくさんのエールや出会いもパワーにしながら、
皆さん、踏ん張っていらっしゃるんだなぁということ。
だから、本当に行ってよかった。
あなたの笑顔が絶対、パワーになるはずです。
夏休み、東北、訪れてみてはいかがでしょうか?
きっと、おいしいものと笑顔で、オモテナシしてくれますよ!
たぶん僕、少し太ったと思うんでス。。。