シェムリアップ on my mind

小林新

2019年12月23日 00:16



伊織姉さんのアンコール旅の様子を聞いていたら
久々見たくなって、すっかり仕舞い込んでいたアルバムを引っ張り出す。

2003年…だからもう16年前!?(ショック!!!!)
僕もバンコク経由でシェムリアップに行ったのでした。
学生を卒業したばかりの春。
当時、友人の多くが同時期にアジアを旅していて、
現地で彼らにも会いながら、10日間ほどの旅。
 


世界中の旅行者が集うバンコクはカオサン通りの安宿に泊まり、
陸路(バス)にてカンボジア国境の町ポイペト経由でシェムリアップ。
その風景は、たくさんのカルチャーショックもありながら、
クメールの人々の優しさと笑顔に癒された旅でした。

アンコール遺跡で覚えているのは、日暮れの美しさ、
そして、とても急な階段の数々。
人を拒むかのような斜度の石段に、これは神々が使うためのものなのかと
足をガクブル奮わせながら感じた記憶。
 
バイタク(バイクタクシー)を一台チャーターしたのですが、
ぼったくられるのも怖いし、英語もうまく使えずで、
ドライバーのお兄さんと喧嘩しながら(のち和解)巡った記憶。
(ごめんよお兄さん。。。)
   

 
そして、シェムリアップ旅行をより色濃いものにしたのが、
知る人ぞ知る観光地の一つ、アキ・ラ地雷博物館。
元クメール人兵士のアキ・ラさんがコツコツと撤去してきた地雷の数々が
戦争の悲惨さを伝えるために展示されています。
 
一方、そこで孤児も養っていて、
その孤児や近隣の子供たちに言語などを教える
いろんな国のボランティアツーリスト達が暮らしていました。
(博物館といっても小屋が数軒建っている質素なもの)
 
 
そこを観光中、僕は展示中の”まきびし”を誤って踏み抜いてしまいます。
(嘘のような本当の話)
太い鉄針がサンダルを貫通、ダラダラと流れる血。。。
その状況を見て、たくさんの子供たちが集まってきました。
中には、地雷によって片足のない松葉杖の少年もいました。
 
心配そうに僕の顔を覗き込むその片足の少年の表情を見て、
僕はなんとも言えない気持ちになり、、、
そのまま数日間、博物館に通ってボランティア?とも言えないような、
日本語を教えたり似顔絵を書いたり、
現地の子供達と過ごすことにしたのでした。
(もちろん病院も行きました。大事にならず本当に良かった…)
 

 
あれから、あら随分と時が流れてしまいましたが、
今でも僕にとって特別な町、シェムリアップ。
 
今では立派な青年になっているであろう彼らが
平和で過ごしていることを切に願います。 
 
 
  

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